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 戦前の日本の家畜は、軍馬や農耕用の牛馬などの大型家畜が主体で、養豚や養鶏などは米麦農業の副業的なものでした。終戦を迎えると軍馬は不要になり、国家経済も農業や家畜の組織も崩壊し、牛乳や鶏卵は病人以外は口に出来ない時代でした。そんな何もない時代、昭和24年に「財団法人 馬事畜産会館」は誕生しました。財団の設立は、馬事および畜産関係者の連絡機関として、さらに調査研究、知識の普及が目的でした。

 昭和24年の財団設立は、同時に旧馬事会清算残余財産を譲り受けるものでした。この建物は、関東大震災後に建てられた鉄筋コンクリート造りの地上3階地下1階、建坪延べ555坪の旧駿河台外科病院でした。階段も床もかなりの年代物でしたが、当時戦争で焼け残った建物の中では、使用に耐えうるもののひとつだったのです。ちなみにこの年は、政治的にも社会的にも、いろいろな動きがありました。池田勇人、佐藤栄作、前尾繁三郎、河本敏夫の各氏の初当選、第3次吉田内閣成立、都がモデル住宅として戸山ハイツを完成、そして東京消防庁に119が設置されました。

昭和35年には新会館の建設用地として駿河台1丁目2番地を購入し、翌36年5月に新会館竣工を迎えました。当時としては最新の建設技術を駆使した仕様で、役所や商社の人々にも「素晴らしいビル」と羨ましがられ、以来「神田駿河台の馬事畜産会館」と呼ばれ親しまれてきました。竣工当時は中央畜産会や日本食肉協議会も入居していたため、業界で第2畜産局といわれたほどの活気でした。

当時、最新の建設技術をもってして建てられたビルも、竣工から42年も経てばそれなりの老朽化は避けられない問題です。平成15年度の中央区新川への移転は、馬事畜産会館の歴史上3度目の経験となりますが、今ではこれらの歩を知る人は、ほんの数名しかおりません。今後の馬事および畜産の発展のため、財団の未来のために、会館の歴史をしっかりと語り継いでまいります。
旧 馬事畜産会館

前 馬事畜産會館



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